御祭神「神功皇后」
息長帯姫命(神功皇后)
本殿右座に神功皇后(じんぐうこうごう)をお祀りさせて頂いております。神功皇后は日本の第14代天皇・仲哀天皇の皇后であり、八幡神として祀られる第十五代応神天皇の母であらせられます。『日本書紀』での名は気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)で仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされます。
古事記によると、夫である仲哀(ちゅうあい)天皇は「西に金銀財宝に満ちた国があり、その国を帰順させよう」と神託を受けましたが、偽りを言う神だと思い信じませんでした。そのため神の怒りに触れて亡くなられました。その後、神功皇后は新たな神託を受け、身重の体で軍を整えました。舟を並べて海を渡ると、魚は舟を背負って進み、追い風が舟を進め、新羅の国までたどり着きました。新羅の国王は恐れおののき、降伏して朝貢することを誓い、百済も従ったとされています。
大和に戻った皇后は、仲哀天皇のほかの二人の王子(天皇とオオナカツヒメ命との間の子で香坂王と忍熊王)の反乱を鎮め、応神天皇を皇太子に立てて、自ら摂政をおこなったとされます。
神功皇后の御利益
神話伝承における活躍を見てみると、神功皇后は女神でありながら武神としての性格を持ち、民俗的な母子神信仰とも深く関係し、鎌倉時代には神仏習合的な女神として聖母大菩薩とも呼ばれました。その神威は八幡信仰や住吉信仰とともに全国的に広まりました。
神功皇后の聖母的性格を表すのが鎮懐石(ちんかいせき)の伝承です。それによると、新羅遠征中に産気づいた神功皇后は、卵型の美しい石を2つ腰のところに付けてまじないとし、出産を遅らせることを願いました。そうして、筑紫国に凱旋してから無事に出産しました。
呪術的な方法で出産をコントロールし、妊娠から出産まで十五ヶ月間もかかる異常さは、生まれるのが神の子であることを暗示するものです。
今では聖母神、母子神として信仰される神功皇后ですが、戦前ではお札の肖像が描かれたり、武の一面が恣意的に誇張され、軍国主義制作の精神的な支えとして利用されたこともあるそうです。
▼御利益
安産・子育て守護・学業祈願・厄除け・病魔退散・家内安全・開運招福